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7/24/2021 2:28:00

Case17.こころ

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マインド

 一般に、受験とは精神的に負担がかかるものである。その程度は大なり小なりあるが、中には受験のストレスが身体症状として発症してしまう人もいるほどである。今日はこの受験時にかかるストレスについて考察してみようと思う。

 真剣に受験に臨んでいる受験生は精神的に強烈な負担がかかっている。ここで「真剣に」と修飾語を付けたのは、真剣でない受験生は記念受験的に受験をする場合もあり、受験に対して全くと言っていいほど何も思い入れが無く共通テストや二次試験をスルーしてしまうため、ストレスと感じる要素がない。一方で「真剣に」受験に真正面から取り組んでいる受験生は、その「合否」という非常に単純明快な結果を求めている・求められている環境下で一年間勉強しないといけないため、真剣であればあるほど、その志望校が高ければ高いほど、受験生を襲うストレス度合いは大きくなってしまう。

 さらに、現実的に合格の可能性が高くなってくると上記のストレスは程度を増す。「合格が現実味を帯びてくる」と真に合格するにはどの程度できてないとダメで、周囲の合格する受験生もこれくらいはできてくるはずだという明確なポイントを意識することになり、それは試験本番だけでなく日常の学習でも強烈な精神的負担として受験生を襲う。他方この逆の場合、すなわち、「全く合格圏に達していない」場合だと、受験生自身の実感として「今年は無理だから肩慣らし程度に受験しておこう」であったり、あるいは、「この問題くらいできなくてもいいだろう」などとする安易な妥協点を探すため真のストレス状態まで負担がかからないのである。

 上記について、私の場合でもやはり合格ラインが明確に見えたとき、問題集や模擬試験、本番でも「この問題ができないと確実に落ちる」「この大問(2)までは完答して当然である」などが問題を見た瞬間に、あるいは問題を解いている最中に明確に認識できてしまい、そのポイント・ポイントに差し掛かる度に「合否」という二文字がちらつくため非常にストレスフルであったことを今でも思い出してしまう。万が一にもその問題で鉛筆が止まった時、実際に手足が震えたし、冷汗が出てきたことを今でも覚えている。こういったひしひしとしたリアルな感覚は、受験後の今でさえも受験を思い出すたびに「後遺症」として身体に刻まれている。

 真に合格に近づけば近づくほどストレスフルになってしまうとは実に皮肉なものである。しかし春に「合格」の二文字を手中に収めるには、こういった生みの苦しみとでも言うような、手足の震えが止まらなくなるようなリアルな感覚を持って受験に臨まなくてはならない。というよりも、自ずとそういった感覚になってしまう、という表現が適切なのかもしれない。明確に合格点が見えたとき、人はそのポイントを無意識に意識してしまう。人のこころとは生来そうなっているのかもしれない。

 ただし、ストレスとはネガティブにばかり捉えられがちだが、ネガティブな側面のみではなくポジティブな側面もあることを知らなければならない。すなわち、ストレスによって人間は活動的にもなり、目標到達に向けてさらにエンジンをかけ、最終的に目標に到達した際に大きな達成感を得ることができる。ストレスがあるからこそ、高い集中力とモチベーションを維持でき、ストレスフリーの状態よりも結果的に高い成果を残せるのである。つまり受験的には、高い志望校に「合格」するのである。合格が現実的になればなるほどストレスフルな状態となり、しかし結果的にそれが燃料となり合格にさらに近づくという正のスパイラルを形成していると言えよう。

 真剣な受験生はストレスがかかって当たり前である。残念ながらそういうものなのである。逆にそれは真剣な証拠でもある。そのストレスを正のスパイラルに持ち込んでいくことができるのか、もしかしたらそれすらも受験生に問われている試験科目なのかもしれない。受験生はつらい、でも大丈夫。そのつらさは明日の糧になるのだから。

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