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5/9/2021 3:06:00

Case1.大学受験の社会的意義を考える

eyecatch
マインド

 本日より始まる「塾長コラム」。不定期更新で、とりとめもない話を中心に書いていこうと思う。今回は自身の受験生時代を振り返って、いま思うことを中心に書いてみる。

 私自身が「大学受験」を終えて約10年経過した。私自身は浪人して医学部に入ったが、これまでの人生で一番長期間精神的につらかったのは間違いなく浪人時代である。その経験があったからこそ、今こうして現役医師として働くことができていると断言できる。自分という人間を根幹から見つめ直す期間であり、今なお多くの思考の原点になっている貴重な体験であった。「あのときアレだけ頑張れたんだから、これもこうやれば上手くいくはずだ」という考えの原点である。

 大学受験については多くの人が多くの意見を述べ、「高校数学で習ったsin、cosは何の役にも立たない」「大卒も高卒も働いたら同じだから勉強する意味がない」など様々なネガティブな意見も存在するのは確かである。しかし、あくまで主観的意見として、大学受験は非常に大切な人生経験・訓練の場になると思う。確かに上記のネガティブな意見も一部理解できるし、完全に否定することはできないとも思う。実際多くの人は就職後に実地ではsinもcosも使わないし、待遇の面では高卒も大卒も変わらない仕事もあると思う。しかしながら日本では、さらには先進国のほとんどではこれまでも、そしてこれからも「受験」というものが消滅することはないだろう。なぜか。それは決して日本人全員をスーパー数学者にする計画があるわけでも、日本人全員を英語と日本語を全く同等レベルで読み書きできるレベルにするためでもなく、結論、「エラー回数の少ない、高度で高速な事務処理能力を高める思考訓練の場」として受験にはその存在意義を認められているからである。

 大学受験では出題範囲が必ず決められている。基本的には決められた範囲からしか受験問題は出題されない。受験生には途方もない大海原に見えるような受験でも、いざ一度終わってある日ふと振り返ると、いかに大学受験の受験範囲が限定的で「狭いプール」での勝負であるのかを理解できるようになる。これは本気で大学受験に向かい、そしてその結果はどうであれ、その受験戦争をしっかりと戦い抜き、次の段階に進んだ人なら誰しも感じることだと思う。受験とは、「一定の安全性を確保された狭いプールにおいて、明確な解答のある問題を、与えられた時間内に人よりも速く正確にゴールに辿り着くことがあなたにはできますか?」という単純明快な試験であり、人によっては社会に出る前の最後の公正・公平な勝負の場なのである。言い換えれば、多分野で出題範囲を明示され公平性を一定のレベルで担保された「全国処理能力最終試験」(=あなたは全国の同世代と比較してどのくらい多くの物事を同時に速く正確に処理する能力がありますか?)という試験なのである。

 このレースによって将来の選択に一定の差が出てくるのは当然である。なぜなら、例えば将来あなたが会社で人を雇用しなければならない立場であると想定したとき、年齢や性別、社会性などがほぼ同一の条件を有するAさんとBさんを選ばなければならないとして、〇〇大学に合格したAさんと〇〇大学に落ちたBさんならば、Aさんの方が高い確率でBさんよりも高い事務処理能力(=与えられた仕事を時間内に正確に処理する能力)を持っている「可能性が高い」と考えられるからである。この話をすると必ず「実際はBさんの方が高い仕事力を持っているかもしれない」「大学受験の学力と仕事の能力はイコールでない」という意見もあり、確かにこれもまた正解となることがある。しかしここで議論しているのは確率論であり、統計論である。「そういうBさんも世の中にはいます。しかし自分が二つに一つを選ばなければいけないならどちらの選択をあなたはしますか?」という問いなのである。もっと分かりやすく言うと、「Aさん=効果も安全性も高くて副作用はわずかな薬剤」、「Bさん=効果や安全性は不確かで副作用も大きいが稀に効く人には効く薬剤」をどちらか一方選ばなければならないなら、さてあなたはどちらに人生(=社運)とお金(=人件費)をかけて飲みますか?ということと同値なのである。私なら間違いなくAを選ぶが、あくまでここからは個人の選択であり、Bを選択する人とこれ以上議論しても無意味であるため議論しない。

 残念ながら医師である私を含めて多くの社会人は大なり小なり組織の一員として、会社の構成員として、社会を動かすための一つの「歯車」にならなくてはいけない。そのような状況において、組織や会社は我々に「決められたことを決められた時間内にきっちり仕上げる能力」を問うてくる。そのスクリーニング試験として「大学受験」は今後も存在し続ける。このスクリーニング機能は一般に大手企業であればあるほど強力に働く。なぜならば、大手であればあるほど一人の人間が全ての仕事を一手に担うことは不可能で、あなたには会社の中でのしっかりと明確な役割を持つ「歯車」的存在になることを要求するからである。それならば確率の高いAさんに投資を行うのは明らかである。

 結論、社会の歯車に将来ならざるを得ない運命から逃れられないならば、今その選択権を与えられているうちに死ぬ気で頑張った方が将来的に遥かにコストパフォーマンスが良い。私自身も当時に10倍、いや、100倍はさらに勉強しておくべきだったと今になっても後悔している。だから、受験生諸君、やると決めたなら死ぬ気で勉強しよう。今ならまだ間に合う。

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