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5/13/2022 9:30:00

Case58.進路を選ぶということ

eyecatch
マインド

 昨年一年間で札幌市内市外のみならず、道内道外の受験生と対面、非対面での進路相談をさせていただいた。大学受験(医学部・難関大志望)だけではなく、中学生の悩み相談や将来の理想像などの相談もあったりした。その中で感じた「進路を選ぶこと」の難しさについて考えてみたい。

 進路を選ぶのは極めて難しい。18、19歳の学生(中学生であれば14、15歳か)がその後60~70年の人生を大きく左右する可能性を秘めている生涯の選択を大学受験という形で一旦決断を迫られる。明確に医者になりたい、物理学者になりたいなどの夢があれば、悩む余地がないためある意味で楽かもしれないが(「選択という観点で楽」の意)、大半の受験生にとっては「果たして自分は何者で何になりたいのか」ということをはっきり自覚し決めることは困難であろう。

 受験生の眼前には無限の可能性がある。それは無限の選択肢があることとほぼ同義である。人間は選択肢が多すぎると選択できなくなることがある。これは選択回避の法則(別名:JAMの法則)と呼ばれるもので、必ずしもこの仮説が提唱された通りのバイアスが働くわけではないことも事実だが、選択肢が多すぎる場面では選択できなくなる傾向が一定頻度で出現することをしばしば経験する。

 さらに、選択肢が多すぎると、当事者が選択できないばかりかその選択の責任を他人に押しつけてしまうということも目にする。つまり、「結局どれを選べばいいのですか?」と自分で考えることを諦めて自分以外の誰かに決定してもらおうというものである。これは誰しもがピンとくるのではなかろうか。例えばパソコンを買おうと思って店に行き、目の前に何十もの種類のパソコンがあるとする。店員にそれらパソコンの性能の違いを色々と説明されたが結局自分で選べず「どれが一番いいのですか?」「どれがオススメですか?」と(ほぼ)店員に決めてもらうというパターンである。

 ただし、パソコンを買うのと自身の進路(=人生)を選ぶことの大きな違いは、その不可逆性の有無であろう。大学受験は、厳密には可逆的であるかもしれないが、その可逆的な選択をするのはそう簡単なことではない。つまり、パソコンであれば買い替えるということが比較的容易だが(出費はかなり痛いが、、、)、一度大学に入学した後に再受験でもう一度チャレンジすることは可能だが、その選択をするには一定以上の情熱やエネルギーが必要となる。(個人的にはこういった選択ができる人は素晴らしいと思っている。社会人になっても新たな可能性にチャレンジしようとする情熱を持っているということは賞賛すべきことだと思うからである。)

 上記のような不可逆性を抱えた進路選択を行う上で、重大な選択の必要性に迫られたとき、その選択は安易に歩きやすい安全な道を選択してしまっていないか、ということをもう一度見直してみるべきである。中国儒教に由来する故事成語に「水は低きに流れ、人は易きに流れる」とあるが、ヒトはこういった傾向や性質を大なり小なり持っているため無意識のうちに本来の希望の選択ではなく、安易な選択に逃げてしまっている場合がある。特に、無限の選択肢が眼前に現れて選択する労を厭いたくなるような場面に直面したとき、「とりあえず〇〇という選択をすることにはしたが、本当に自分は〇〇で良いのだろうか。実は××ではないのか。」ということをもう一度自問してみてほしいのである。

 一度このような安易な選択をしてしまうことの怖さは、次回以降の難しい選択の際に安易な選択をする傾向を作ってしまうことにある。「今回も前回同様にチャレンジしないで安全な道にしよう」と考える癖を作ってしまうことである。この考え方に深く嵌ってしまうと厄介で、特にチャレンジすべき若いときにこの考え方をする傾向を作ってしまうことは、今後の長い人生の中で大きなデメリットとなる可能性が高い。

 進路選択は難しい。しかしながら難しい進路選択だからこそ、もう一度自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。今の選択が無意識的に「水は低きに流れ、人は易きに流れる」選択になってしまっていないだろうか。もしチャレンジできることが許されている環境ならば、安易な選択ではなく挑戦者として自分の人生をつかみに行ってほしいと思う。

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