高い学力を有している人の特徴として、基本的な生活偏差値の高さが見受けられる。ここでいう生活偏差値とは、基本的な生活リズム、挨拶、他者への配慮、道徳観、感情のコントロールなど、一般的なこと・当たり前のことをごく普通にできるかどうかで定義される。
経験的に、高い学力を持っている人で「昼夜逆転の生活リズム」「挨拶を無視する人」「相手に侮蔑的な態度で接する人」「やっていいこと・悪いことがわからない人」「すぐに周りのせいにする人」、このような人はあまりいないと感じる。ときに、過度な受験偏重主義者で、学力が高ければ何をやってもいいと勘違いしている受験生やその延長線上にいる人も散見するが、全体の割合から見れば少数と言えよう。
これは経験的な話でありエビデンス(根拠)を求められても提示するのは難しいが、少なくとも本塾から実際に医学部・難関大に合格していった塾生や、大学の医学部同期達、現在臨床医として働いている周囲の同僚医師達は、当たり前のようにこのあたりをこなしているように思う(私程度の人間が言うのはおこがましい話だが…)。
さて、経験論的にこのような事実から逆算すると、生活偏差値が学習偏差値を規定しているのではないかと考えるが、これはある程度以上に確からしいことであろう。日常生活を自律・コントロールできるということは、日常学習に対する考え方や行動を律することとほぼイコールであり、そのような屋台骨なしにしっかりとした構造物は立たない。
最初から完璧な人などいないし、そうである必要は全くないと思う。ただ、これから高い目標を目指そうとしている人は、これからそれ相応の人間的な成長も経験していく必要があるのかもしれない。朝決められた時間にきちんと起きる、学校の登下校時に当たり前のように挨拶をするなど、無理ない範囲でできることから一つずつ当たり前のようにやっていけばよいのである。
もし目標学習偏差値が70ならば、生活偏差値も70またはそれ以上を狙っていこう。実は伸び悩む学力の原因は、学習そのものが原因ではなく、それ以前の生活偏差値部分にあるのかもしれないのだから。