大学受験はその後に何を残すのか。20歳前後の学生が一年かそれ以上か、ある意味でこれまでの人生をかけて全力投球したその先に何が残るのか。今日はそんなことを考えてみたいと思う。
大学受験は酷である。良くも悪くも「合格」「不合格」の二択で結果が返ってくる。社会には必ずグレーゾーンという中間領域、クッション領域があるにも関わらず、20歳前後の受験生にはその中間領域を認めない、それが大学受験という試験である。試験的な最終結果は丸かバツか以外の判定はないが、しかしここで人の努力やプロセスは果たして丸かバツかの二択でしか評価が下されないのだろうか。否、そんなことは決してあるはずがない。
ここで大切なこととして、受験とはある点での事象ではなく一年間のストーリーであり、本来はそのプロセスを問われる全国規模の試験であることを確認したい。つまり、その過程で得た努力の仕方や問題解決に対する思考錯誤の連続、自分なりの改善方法の模索など、一年間を通して体得した“手段”は決して丸かバツかの二択でなど測ることはできないのである。
学校で習った数学や英語をそっくりそのまま社会に出てからも日常生活で使用するというのはかなり限定的であるが、その学習を通して身につけた課題解決方法や思考錯誤の仕方などは一生モノの価値であり、どんなブランド物の服よりも価値がある。ブランド物の服は、1年2年と身につけているうちにその価値は失われていくことが多いが、受験を通して一度身につけた考え方や発想の仕方などは生涯にわたってむしろ洗練されていく。
丸かバツか、当たり前だが答えが丸で返ってきてくれる方が嬉しい。しかし、仮に結果が期待通りのものでなかったとしても、それだけでこれまでの君たちの努力が否定されるものではないと強く伝えたい。かつての自分もバツで返答され、自分は何をやってもダメなんだとひどく悲観した時期もあるが、そこから這い上がって、這いつくばって、自分は絶対にこうなりたいんだという初めに思い描いたストーリーを信じて、心の中の燃える小さくも力強い灯だけを絶やさなければ、そんな否定も肯定に変えられる時が必ずやってくる。これは間違いないと断言できる。
勝ち負けだけで走り始めると、負けが確定した瞬間に足が止まる。 高い志を持って走り始めると、ゴールのその瞬間まで走り続けられる。
たかが大学受験、されど大学受験。たったの一年であるが、その中にその人の生き方が垣間見れる社会人になる直前の最終試験なのかもしれない。「君たちには決して消えない灯はあるか?」もしかしたらそんなことが問われているのかもしれない。そして私は、小さくも消えない灯をサポートしたい。