先週末に国公立前期入試日程が一段落した。結果はどうであれ、つらい一年間をここまで駆け抜けてきた受験生みんなにひとまずお疲れ様でしたとお伝えしたい。これから後期に向けて準備する学生もいると思うが、悔いが残らないように限られた時間の中で最大限努力を続けてほしい。
今日は十数年前に大学受験を終えた一人の社会人として、【大学受験のその先へ】というテーマを考えてみたいと思う。受験が終わった直後の受験生も、これから受験に向かう高1, 2生も是非読んでほしい内容である。受験生当時は誰もがプレイヤーとしてその一瞬を駆け抜けているが、その先にあるものをうまく見通せないことも多いと思う。だからこそ「なんで勉強なんてするの?」「大学受験なんて意味あるの?」という多くの学生が疑問を抱く問題の一つの解になれば良いと思う。
持論としては、sinθ、cosθなどの高校数学を解く上で使う“道具”や有機化学で炭素の腕が4本であるという“事実”とか、大学受験後の日常生活、さらには社会人としての営みの中で、このような科学的知識を直接的に知らないからといって生活ができないということはないだろう。知っていればどこかの場面で得をするということはあるかもしれないが、知らないからといって明らかな不利益を被ることはない。
しかしながら、これら道具や事実を使いこなして論理的に思考する力や一定の負荷をかけて物事を暗記する方法とか、こういったプロセスを経験した人としていない人との間には将来的に歴然とした差ができてしまうことは肝に銘じておくべきである。さらに重要なのは、自分が求めるレベルに向けて、自己を冷静かつ批判的に分析し、やるべき道筋を立てて淡々とこなしていくプロセスこそが「大学受験」という社会が準備してくれた仕組みの真髄であることを覚えておいてほしい。結果的に、これらプロセスを正しくクリアできた人から志望校合格に近づく。そして、このプロセスこそ、社会に出てから求められる“結果”を出していくプロセスそのものである。
現時点での一番の目標が「大学受験」と設定したならば、社会に出る前にこのプロセスを一度経験できるメリットは非常に大きいと個人的には考えている。そしてこのように考える企業も少なからず存在するために学歴フィルターなるものがいくつもの企業で採用されているのも事実である。私自身は学歴至上主義者ではないが、企業の人事採用部も大量のエントリーシートの中から「自分は努力して結果を残せる人間だ」ということを嘘偽りなく証明できる一つの証として学歴というわかりやすいフィルターを使用していると考えられる。
もし今の自分に明確な将来のビジョンがあり、それが大学受験で求められる数学や英語などの学力スキルとははっきりと違うもの(例えば歌手や料理人など)であるならば、それはその目標に向かって数学や英語などの勉強とは違う勉強に精を出すべきだが、現時点で明確な人生の夢や目標がないならば、将来的に応用の効きやすい「大学受験」というプロセスを経験することで、結果、将来やりたいことが出てきたときの一助になる可能性は大いにある。たしかに大学に行かないで道を切り開いた人はいくらでもいるが、自分の道が決まっていない人ほど、高い目標の大学を目指した方が将来の選択肢が広がる可能性が高いと思うのである。
今日はやや深い話だが、こんなことを社会人になってから思うようになった。学校の先生や周りの親が「とりあえず勉強しておいた方がいいよ」と言っているならば、つまりこういうことなのである。