大学受験とはなぜ存在するのだろうか?受験生なら一度は考えたことがあるだろう。この問に対する私の答えは、短期的には「勉強して学力をつけ、入りたい大学に合格するため」であり、中長期的には「人間力を育むため」であると考える。
短期的には「医学部に合格したい」「〇〇大学に合格したい」という目標を持ち受験勉強に取り組むわけだが、その過程では多くの課題や困難に立ち向かう必要がある。受験では上手くいくことよりも上手くいかないことの方が圧倒的に多く、受験生はその理想と現実のギャップに苦しむことになる。しかしながらその理想に向かうべく、「どのように学習計画を修正すべきか」「継続的に努力を積み重ねるにはどのようにしたら良いか」「心のバランスを保ちつつ困難に向かうにはどのような点に注意すべきか」など、受験生の中で試行錯誤を繰り返す。そしてこの過程こそが、大学受験の本質的な意味での目標、つまり「人間力を育む場」なのである。
繰り返しになるが、一年間の受験勉強の中では調子が良いときも悪いときもあり、どんなときも順風満帆ということはあり得ない。これは受験が終わった10年後、20年後でも同様で、調子が良いときもあれば悪いときもあり、特に「調子が悪いとき」に対する捉え方や、その状況を打破するための取り組み方を学ぶのが大学受験の本質である。大学受験という社会の仕組みを通して、今後の人生に役立つだろう考え方や取り組み方を学ぶことが最大の目標である。
このように考えると、世の中には「大学受験なんて意味ない」と明言している人もいるが、それは誤りではないだろうか。受験は意味ないと考えている人の多くは「受験勉強として学んだ数学のsinθ、cosθや物理の運動方程式など、これらは社会人になってから使う場面がないのだから意味ない」という説を唱えているが、この目線は短期目標の大学合格のための勉強という点にしか目が向いていないように感じる。しかしながら、むしろ上述の中長期的な目線も含めると「大学受験という社会が用意してくれた仕組みを利用して人間力を育む機会」とポジティブに考えることができる。
10年経っても20年経っても決して失うことのない真の勉強とは、数学の問題が解けるとか物理の解法を覚えているとか、そういう次元の話ではなく、大学受験を通して体得した物事の取り組み方や困難に立ち向かう姿勢、そういった人生の本質を受験の1年間に圧縮して学ぶことである。