小学校や中学校に入ると先生が「この問題について意見のある人は挙手をしてください」や「校内の問題を自由に議論しましょう」など、そういう意見交換の“練習の場”を設けてくれているが、果たしてどれくらいの人が自分で自分の頭を使い自分の意見を述べたり、建設的な議論になるように意見を述べようとする姿勢を見せているだろうか?この意見交換の練習を積んできた人と積んできてない人との間には、大学生以降、特に社会人になると大きな差が生まれることを心に留めてほしい。
「意見を述べる」と聞くと、何か気の利いた一言を考えないといけないだとか、変なことを言ったらおかしい人だと思われないだろうかなど後ろ向きの考えが先行してしまう人がいるが、特に学校教育においてはよほど常識外れや倫理的に間違った発言以外は許容してもらえる。それは、先に述べたように学校における意見交換/意見発信とは、本番(社会人になったとき)のための“練習の場”としての意味合いが強いからである。一般に、意見には正解がないため自分なりの答えを模索する必要があり、この「答えがないなりに答えを導き出す」というのが大学生、社会人になってからは大いに活躍するスキルなのだ。
この意見を述べるという行為は、巨視的に見ると自己アピールの一種であり、さらにそれは自己形成でもある。意見を述べるという行為を通して、自己を表現し自己を作り上げていく。それゆえ、学校教育の段階で自分の頭で考えた自分の意見を述べる習慣ができている人は、社会に出た段階で確立した自己を有している、あるいは近い将来に確立するであろうことは想像に難くない。
ここで、【有言実行】という言葉があるが、これは自分の言ったこと(≒意見)は必ず実行することであり、例えば高校生であれば自分の将来の夢を持ち〇〇になりたい/〇〇でありたいと強い希望を持ち、それを親や学校の先生に伝えること(≒意見)でその達成に近づくことは多々経験する。個人的にスピリチュアルな考えはあまり好きではないが、日本には言霊(コトダマ)という考えがあり、自分が口に出したものには魂が宿ると考える慣習がある。もしそうならば、なりたい自分を口に出し、そこで親や先生、友人と活発な議論を交わすことでその言葉は前向きなエネルギーになるかもしれない。
やや話が逸れた部分もあるが、自分の思っていることを適切な場面で適切に述べる力というのは一朝一夕で得られるものではないが、社会に出る一歩手前の高校生たちには是非とも自分の意見を持ち、それを主張する練習を積んでほしいと思う。その経験を通し、将来的に社会のあらゆる分野で活躍できる人材が育ってほしいと願う。