なんで勉強なんかしなきゃいけないの?誰しもがこんな疑問をもったことはないだろうか。大人になるにつれて段々と勉強する意味がわかるようになるが、子どもの頃は特に理解できない人も多いだろう。先日、インスタグラムで少し話題になっていた『なんで勉強なんかしなきゃいけないの?』という素朴な問いに対する一つの考え方を紹介する。
目の前に、コップに入った水がある。
「算数」を学べば、この中に200mlの水があるというように、数字で“見える”ようになり
「理科」を学べば、この水は水素と酸素からできていることが知れる
「社会」を学べば、この水がどこから来たのかがわかり、そして世界にはこのきれいな水を飲むことができない人たちがいることを知れる
「美術」を学べば、この水の反射を綺麗に描く事ができるようになるし
「音楽」を学べば、同じコップでも水の量で音を変えられることにも気付ける
「技術」を学べば、このコップがどんな素材でなぜ漏れないかがわかり、人の“創造”の凄さを知ることができる
「保健体育」を学べば、この水が体にどれだけ大切なのか健康を支える命の正体が見えてくる
「道徳」を学べば、この水を誰かと分け合うことの大切さを学べて、思いやりの心が育つ
「国語」を学べば、今私が話した“全部の意味”を“正しく”理解できるようになる
「英語」を学べば、この話を世界中の人と分かち合えるようになる
「哲学」を学べば、この話に何の意味があるのか考えられるようになる
でももし、何も学ばなかったらこのコップの中にあるのは「ただの水」で終わる
だから勉強するの
この世界をただ見ているだけの人生で終わらせない為に
(インスタグラム『余命半年の教師の母が息子に言った「深すぎる」勉強の本当の意味』より)
どうだろうか。この話を聞いて“正しく理解”できるのであれば、勉強することの本質的な意味を知ることができる。少し難しい言い方をすれば、勉強している人としていない人では、同じ事象を見ても、その事象に対する解像度が全く異なる。世の中には『浅い人』と『深い人』がいるのは、こういった理由も一つにあるだろう。
さて、あなたは目の前にあるコップの水を見てどう感じるだろうか。